~ この世・あの世を知るⅡ ~

この世の疑問・謎・疑惑、あの世に関する情報を冷静に分析してみます。

 

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無責任過ぎやしないか?

 オウムが健全な宗教でない事は分かっているし、叩かれて当然かも知れない。
しかし、日本の芸能人達は何かと無責任過ぎないだろうか。
私は別に人としてビートたけしは嫌いではないが、どうもテレビの世界での役割は偽善的であると思えて仕方がない。
官房機密費をもらって御用芸人と化しているという話も聞くが、実に情けない。
この人には最後まで自分を貫いて欲しかった。

 たけしが麻原とテレビで対談していたのをご存じだろうか。
この時点では麻原は単なる宗教者であって犯罪者ではない。
たけしも、尊敬すら覚えるような雰囲気で話している。
そして、私もこの時点で麻原がいかがわしい事を考えているとは思えない。
少なくとも殺人まで考えていたとは思えない。
むしろ思想・修行を楽しんでいるようにさえ思える。
これは私の勝手な思い込みなので、賛同を得たいとも思わないが、あの話し方、目はたけしとの話を純粋に楽しんでいるように思える。
このような形で麻原を世間に広めた以上、たけしも麻原に対して他人ではないはず。









 しかし、たけしは会見や自分の番組で、まるで最初から懐疑的に見ていたかのような扱いで、麻原を否定した。
私としては、「以前はこんな人ではなかった。なんでこうなっちゃったのか・・・」くらいの責任発言が聞きたかった。”下衆”などという言葉まで使って、無関係を誇示した。

何度も言うが、オウムを肯定するつもりも擁護するつもりもない。
しかし、たけしばかりでなく、マスコミ、コメンテーター達は状況が変わると手のひらを反して別の顔をして見せる。
この方がよっぽど下衆ではないだろうか・・・
もちろん私はこの逮捕劇も何らかの事実をかなり湾曲させ、捏造したものだと思っている。
なぜわざわざ山梨に警視庁が来る必要があるのか。
大きな事件だから?いや、だからなんで警視庁なのか。
東京の警察はそんなに極端に優秀なのか?
馬鹿を言うな・・・
何を隠していた。。。
テーマ : 伝えたいこと    ジャンル : ブログ

Comments

No title
daemon 様
>この世」のほんのわずかだけ脇によりそって存在している世界だと思っています。

私もそう思います。
直接見れない、触れないというだけで、位置的にはすぐ隣、もっと言うとほとんど重なり合っているのだと思います。
魂的なつながりがその世界を介して他と繋がった時、テレパシーや予言などが起こるのだと思います。

>限界まで打ちのめされて希望のカケラも見つけられなくなった時に、大きな気づきのチャンスがやってくるような気がします。


そうですね。この最悪の状態こそ良いきっかけになり得ると考えるべきと感じますね。
多くの方々が目覚める事を祈ります。
2012-02-24 00:50 様
 この内容に電通が噛んでいるか分かりませんが、全般的に電通がこの国のメディアをがんじがらめにしている事は周知の事実。でも、少なくとも電通に責任という観念はないでしょうね。
俺がおきてだ!でしょうね・・・
さっさと国へ帰れ!と言いたいです。
No title
電通に責任ないんすかね?
大麻博物館
大麻のお話が出てきたので、よろしければご覧になってみてください。
アメリカが何故禁止にしたのか、よーく分かります。やはり大麻は素晴らしい植物だと再認識できますよ。

■日本の自然布展「日本古来の麻の話」大麻博物館・高安淳一先生

http://www.youtube.com/watch?v=Itl2zNSIGIs
http://www.youtube.com/watch?v=dyS4Wn7Dvwc
http://www.youtube.com/watch?v=4vS4Scx_UUU
http://www.youtube.com/watch?v=Srxu3UKzpc8
http://www.youtube.com/watch?v=JMzhwhIHlko


No title
planzさん、お返事ありがとうございます。

機会があれば、「大人のための残酷童話 妖精写真」見てみたいと思います。

私は、いわゆるあの世とは、実は「その世」であって、「この世」のほんのわずかだけ脇によりそって存在している世界だと思っています。大本の霊界物語や日月神示なんかは「その世」の話だと思います。見聞録や偉そうな説教です。

「そこ」は「ここ」と五十歩百歩の世界だと認識しています。極論すれば物理的な身体があるかないかだけの違いだと思っています。

人間、生まれてくるときは裸一貫。死ぬときも同じ。薬草など自分の外部にあるものを頼りにしなくても、認識の枠組みを拡張させ真理に至る方法があると思います。

シャーマニズムを超たところに真実に至る道があるわけで、シャーマニズムも彼らイルミナティの手によって正体というか限界が暴露されているのだと思います。

限界まで打ちのめされて希望のカケラも見つけられなくなった時に、大きな気づきのチャンスがやってくるような気がします。


たそがれ様
 そうですね。オウム事件を取り巻く人々は頭が良い人ばかりで、それが真実を見えなくしている要因の一つだと思います。
見る限り、一番マヌケなのは踊らされている警察だと思います。
警察の失態がまったく見えなければもっと完全犯罪で済んでしまったはずです。
彼らのボロが、この事件の不可解な部分を見え隠れさせています。

>ただの言葉遊び?なのかもしれません。

そうかも知れませんね。死についてそういう会話が出来るという事は、それこそ頭の良い証拠ですね。

そこまでの話をテレビで麻原としたたけしは、少なくとも他人の顔をしてはいけないし、普通なら出来ないと思うのです。
自分をかばったのか、機密費によって踊らされたのか、機密費自体嘘で単に見捨てただけなのか、私には分かりませんが、どちらにしても人として不愉快な態度だと思いますね。
この対談見ました。
 たけしと麻原の対談は以前に見ました。
 この二人かなりシンクロしていて、お互いを讃えあう様な妙な雰囲気のもと、つらつらと良く喋る。二人ともこの話術でのし上がってきたのが良く解りましたよ!頭もいいんだろうなあ・・・それが、最初に見た時の印象です。

 しかし今よくよく考えてみたら、死についての考え方など、正直小難しく、あまり意味がないように思えてきた。ただの言葉遊び?なのかもしれません。

 たけしも少しは事情を知っているのなら、麻原が逮捕されたと時の再現部屋に入って遊ぶのはどうなのか?とやはり感じます。(3つめの動画は初めて見ました。)
 それともまさか、たけしは本当にオウムが事件をやったと思っているのだろうか?
daemon 様
 素晴らしいコメント有り難う御座いました。
まったく同感です。
民衆のメンタルの崩壊=イルミナティ、奴らは人間の覚醒を恐れ、手先を使って恐怖心や不安感を煽ります。
それがアメリカ勢力やそのまた手先のメディア・企業・政府・警察・・・の行動なのでしょうね。
瞑想はオカルトになり、大麻などは悪の権化として殺人犯よりも必死になって捕えられます。

「大人のための残酷童話 妖精写真」という英映画をご存じでしょうか。現実主義の写真家がある写真をきっかけに、山中へ入り花を口にすることで妖精の世界と繋がる事が出来るようになる話なんですが、忘れられない映画です。
内容的にはもっと悲しい話が織り交ぜてあり、色々な捉え方があるようで、ネットでレビューなどをみると酷評されていたりしますが、皆さん受け取り方を間違っていると思います。
これは人間にとって重要なものを表現した映画であると信じています。エンディングも悲しい終わり方なのですが、複雑な心境の悲しさや感動があります。
正直泣きましたね(笑)何よりも全体の雰囲気がすごく好きです。

話がずれましたが、その題名の残酷童話というのも、何が残酷なのかさっぱり分からず、むしろこういう体験自体を残酷にしてしまいたいのだろうなと思いました。原題には残酷という言葉など入ってませんから。

その昔、大麻は皇室の象徴だった時代があったようです。文献にも残ってますから。それをいつの間にか何も無かったようにされてしまいました。おそらく大麻には使い方によってあちらの世界と繋がる事すら可能な凄い力が秘められているのだと思います。

すべて隠されてしまい、不安・不幸ばかり感じさせられるこの世こそ残酷だと思います。
脱イルミナティ支配
こんにちは。興味深く読ませてもらっています。
いつも変わらない誠実な語り口がいいですね。

私もオウム事件は風化させてはいけないと思っています。

今思えば、基本的にはCIA電通のシナリオ通りの展開だったのではないか。

新・新宗教ブームの盛り上げから始まって、オウム麻原が頭一つ抜き出ているかのような印象操作を朝生やビートを使ってテレビで行い、さらに島田・中沢といった宗教学者を使って正しい修行団体という権威を与える。人気があがり信者が増えたところでトラブル多発の危険な団体として報道し、さらには殺人事件をいくつも起こしている犯罪者集団と認知させた後、サリン事件の実行犯として名指しする、証拠もない段階から。

(オウムサリン実行犯説扇動役「サリン被っても瞳孔収縮しない不死身な滝太郎」が今になってあのような形で浮上してくる姿を見ても水面下での黒いつながりを感じます。


私は一連の事件の主役としてオウム真理教が選ばれたのには理由があると思っています。

彼らは「修行によって真理に至る道」があるということを主張していました。そして、それは「誰にでも可能」なのだと真面目に実践していました。この2点は既得権益の上に胡座をかいている旧宗教勢力が決して触れないことです。「真理実現」「精神解放」「自由獲得」なんてことに大衆が目覚めたら自分たちの権力基盤が奪われてしまうからです。

オウムの教義のナンセンスさはともかくとして、言葉や制度の上での戯れ言ではなく真理探究を生活の中で実践していこうという姿勢は、既存の宗教で満たされない多くの人に共感をもって受け入れられたのだと思います。

その修行の中核である「瞑想」が、オウム事件によって「いかがわしい」「危険な」ものとされました。さらにその後の軽薄なスピリチュアルブーム(by電通CIA)によって、瞑想は願望成就のための方法や単なるリラックス法に貶められてしまいました。

リチャード・コシミズの分析は優れていますが事象の説明をするにとどまっています。
政治的には、今の政局と同様、中国・北朝鮮・韓国・米国・ロシア、各勢力入り交じってのカオスだったのでしょう。しかし、彼らは弁証法できます。対立する二項だけ見ていては本質を見失います。オウム事件で、精神の高みを目指そうとすることの馬鹿馬鹿しさを喧伝し人間を解放する技術としての瞑想を抹消したかったのです。ターゲットとしてオウムを選んだ理由、裏を返せば幸福の科学を選ばなかった理由がここにあると思います。

長文になりすぎたので端折りますが、私にとってオウム事件とはイルミナティの大衆支配の仕組みとそれに打ち勝つ方法を示唆する興味深い出来事だったと思います。

長々とすみません。
ここまで読んでいただきありがとうございました。



 

 
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