~ この世・あの世を知るⅡ ~

この世の疑問・謎・疑惑、あの世に関する情報を冷静に分析してみます。

 

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日航123便事件の真相・・・更新の件

 しばらく更新が止まっており申し訳ありません。
一年ほどこの事件を追いかけてきたのだが、ここへ来てどうも気にかかる事がある。
何か違和感を感じる・・・

詳しくはここでは書けないが、なにか誘導されているような感覚を覚える。

そこで、一旦クリアにして考え直す必要のある部分を見つける為に、読者が離れて行くであろう状況を覚悟の上、更新を停止している。

一番大事なのは、読者獲得ではなく123便事件の疑惑の保存である。
四半世紀を向かえ、まるで全てが終わったような空気に包まれているようだが、何一つ解決していないという事を忘れてはいけない。
こんなとんでもない規模の事件が隠蔽され、完全に事故原因が圧力隔壁の破損であると日航新入社員達に教育されている今、誰かが疑惑を提示し続けなければならない。

私は事件を解決する術は持ち合わせていないが、とにかく現場の現状を公開し、事件を忘れさせないというブログを続ける事だけが自分に出来るすべてだと考えている。

現在、次の記事の内容は決定しており準備段階である事はお伝えしたい。
ただ、少しばかり厄介で危険な工程である為に時間がかかりそうだ。

とは言え、やはり更新のスピードも関心を持ってもらう為にはかかせない要素であるのも事実。
出来るだけ早く取材に取り掛かるつもりなのでご理解の程お願いいたします。

これからは、再び123便事件以外の記事も書いていきたいと思いますが、決して事件から離れるものではありません。更新とは関係なく今でも頻繁に現場周辺に出向いております。

そういった訳で、ご迷惑をお掛けしておりますが、これからも当ブログをよろしくお願いいたします。
テーマ : 知ってほしいこと。    ジャンル :

Comments

No title
こんばんわ。管理人さんの言われる、誘導されている感じは最近の世論やブログ、本など吟味すると私も同感かなと思う所あります。その最もたるものはロックフェラーやロスチャイルドではないでしょうか。最近に至ってはその裏がさらにいるみたいで、まるでドラゴンクエストをやっているような錯覚に陥ります。
123便の事は、日本の最高層が仕組んだ・・らしいでが、何者なのでしょうね。一つ確実なのが、わが国も中国共産党ならぬ、○○共産党というものが存在するのではないか。
日航ジャンボ123便 「NHK 20分後にヘリ」(「断片的で不完全な情報」だと「言論活動を制止」とは黒幕の屁理屈です。)
日航ジャンボ123便 「NHK 20分後にヘリ」(「断片的で不完全な情報」だと「言論活動を制止」とは黒幕の屁理屈です。)
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak43/msg/663.html

貴重な初期報道
http://www.youtube.com/watch?v=ZHB1Buqcqdk

「20分後にヘリコプターが飛んできている」
(20分後には墜落現場がわかっていた→20分後には救助活動を開始すべきであった。)
「断片的で不完全な情報」だと「言論活動を制止」しなければならないというのは真相を恐れる黒幕の屁理屈です。
日航ジャンボ123便 「NHK げんばくのきのこぐも」(テレビで堂々と「原爆のきのこ雲」と報道。断片的で不完全な情報。)
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak43/msg/659.html
「断片的で不完全な情報」だと「言論活動を制止」しなければならないというのは真相を恐れる黒幕の屁理屈です。

原爆のようなきのこ雲
1985年8月13日AM10:00スゲの沢  救助もせずマッタリしている「木こりの消防団員」
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/2559.jpg
日航ジャンボ123便の際に、不思議なこととして、早くからスゲの沢の現場にいた「木こりの消防団員」である。
もちろん、上野村消防団は、かなり後から到着したので、消防団ではない。
しかし、カメラマンには「木こり」と名乗ったのである。

「木こりの消防団員」は、日航ジャンボ123便の生存者救出も行っていなかった。




<参考引用>「木こりの消防団員」
「4/524」          小平尚典(写真家)


一九八五年夏、お盆前日の夕暮れどきだった。私は東京の下町、永代橋付近の交差点で、片手をハンドルにもたせかけ、ぼんやり路上を見つめていた。やがて信号が変わり、車はのろのろ動き出す。黒いマジックで塗りつぶしたような橋げたの影を目で追いながら、撮影するように瞬きでシャッターを切ってみる。
エアコンの効いた静かなボルボの車内、眼下には隅田川の川面がオレンジ色にまぶしく輝いている。ガソリンはまだ半分近く残っていたが、カメラマンという仕事がら、できるだけその日のうちに満タンにしておくようにしていた。いつも立ち寄るスタンドで給油を終え、清々しいくらい威勢のいい若者の声に送られながら、通りに出た。
一日の仕事が終わった。世間は明日から夏休み。今日は一歳の娘と風呂にでも入るか、それから冷えたビールで一杯、とりたてて急ぐでもなく私は深川の自宅へ車を走らせた。
そのとき、トゥルルル、トゥルル――と自動車電話の独特な呼び出し音が鳴りひびいた。今でこそ誰でもあたりまえに携帯電話を持っているが、一九八〇年代半ば、重たいバッテリー付きのショルダーバッグ型であれ車内据付型であれ、移動式の電話機を持っている民間人は、報道関係者か暴力団関係者ぐらいのものだった。
くつろぎを破られたことに少しうろたえながら、後方を確認して車を端に寄せ、左手で受話器をあげる。一回り年上の先輩カメラマン、Wさんからだった。
「おい、コヒちゃん、飛行機が行方不明らしいぞ」。事件や事故の一報に多少は慣れてきていたが、これにはいつものように冗談を返す余裕がなかった。「早く、NHKに合わせてみろよ」。念押しするように言われ、慌ててギアをパーキングに入れ、サイドブレーキを引き、ラジオをつける。
「羽田発大阪行きのJAL123便が十八時五十六分頃、静岡上空で消息を絶っている模様――」
それだけの情報が、何度も繰り返されていた。
「俺、いま北海道にいるんだ」
Wさんは、どことなく悔しそうな口調でそう言うと、「大変だろうけど、頼むよ」と言った。
「了解。とりあえず、編集部に向かいます」
私はそう答えると、いま来た道を注意深くUターンして編集部のある神楽坂方面を目指した。茅場町を過ぎたあたりでT記者から電話が入り、編集部で落ち合うことを確認する。
大変なことになった。何かの間違いならいいが……。いうまでもなく飛行機事故は大勢の乗客の生死に関わる。地上にクラッシュしたとすれば、生き残ることは奇跡に近い。不意に親友のレーシングドライバーの「リクライニングを少し起こし、お尻で車のリアの流れを感じられるように」という言葉が頭に浮かぶ。私は少し背筋を伸ばして肘にゆとりを持たせ、やわらかくハンドルを握った。信号でブレーキペダルが踏みやすいように、ひざの余裕を確認し、これでよし、と一人でつぶやきながら・・・・・・・。
  *** 
その頃、私は写真週刊誌「フォーカス」の契約カメラマンだった。創刊当初は部数が低迷していた同誌が、新しい写真ジャーナリズムとして勢いを得たのは、ホテルニュージャパンの火災がひとつのきっかけだった。当時を少しさかのぼってみる。
一九八二年二月八日午前三時二十四分、私は電話で叩き起こされた。
「とにかく、何でもいいから撮ってこい」
という田島デスクの言葉を受け、私はバジャマの上からダウンジャケットとジーンズを着て車に飛び乗った。広尾から乃木坂、そしてTBSの裏道を抜けて、赤坂の日商岩井ビルの裏手に車を停めて現場へ急行した。すでに新聞やテレビのカメラマンが大勢いて、慣れた様子で撮影しまくっている。
「これは困ったな」
まだ現場経験が浅い私は、途方に暮れて火災現場の混乱を眺めていた。すると目の前に赤い回転灯を回しながら日本赤十字社の救急車が停車し、カバンを抱えた医師や看護士たちが足早にビル裏手の暗がりへ走っていく。思わずそれを追いかけていくと、路上に置かれた担架の上に毛布がかぶせられている。横たわる人影は、すでに生気を失っているようにみえた。医師たちは懐中電灯で患者の診察、というより検死をはじめた。
そこへテレビの照明が差し込んだ一瞬、私は望遠レンズを開放にしたままモータードライブをフル連写した。すぐさま警官に制止され、あたりは暗闇に戻る。それから二時間ほど現場周辺をうろついてみたが、報道カメラマンとしての手ごたえはほとんどなかった。
編集部に戻り、地下の暗室で現像したコンタクトを田島デスクに手渡す。朝がた、カメラマンたちが撮影してきた、できたばかりのモノクロプリントが編集部の大きなデスクの上にばらまかれた。しばし沈黙の後、厳しい目をした後藤章夫編集長が、「これでいく」と、一枚の写真を取り上げた。ビルの陰での検死のアップである。「瞳孔反射なし」とタイトルがつけられた写真は、巻頭トップだった。後藤編集長は、「写真でタイトルがつけられるような写真が、フォーカスの写真だ」と話していたという。
編集部は、事件や事故、スキャンダルなどを担当するフォーカス班と、イベントなどが中心のコラム班の二班に分かれていた。私ははじめ後者の仕事をしていたが、ニュージャパンの火災以降、いつのまにかフォーカス班専属になっていた。自分でも、報道カメラマンは性に合っているのかな、と感じはじめてもいた。
だから、ニュージャパンの火災の翌々日、またも電話で叩き起こされ、「羽田空港で日航機が墜落」と聞かされたときも、体は自然に動いたし、首都高速を現場へ急ぐパトカーの後につくことにも抵抗を感じなくなっていた。
***
神楽坂の編集部へ急ぐあいだ、私が思い出していたのは、機長が「逆噴射」のあげく着陸に失敗、東京湾に墜落して二十四人が死亡した事故のことだった。
やがて牛込北町の交差点を過ぎ、新潮社に到着。編集部にはすでにT記者が到着していて、フォーカス班の責任者・田島デスクとソファでテレビを見ながら、神妙な顔で打ち合わせをしていた。
そこへ、田沢進写真部長が地下の暗室から上がってきた。
「どうもこれは大変だぞ。これ、持ってけ」
田沢部長から渡されたトライXフィルム・プロパック二十四本入りはずしりと重かった。
「自動車電話があるから、小平さんのボルボでいい?」
デイパックを背負ったT記者が言う。
「もちろん、じゃ、行ってきます――」。
田島デスクのほうへ言いかけたが、彼はすでに電話で方々に指示を飛ばすのに忙しかった。
「お前さんたちなら大丈夫だろうが、くれぐれも気をつけな!」
代りに田沢さんが、勢いよく送り出してくれた。
車に乗り込み、地図をチェックしていると、不安と緊張で額や手に汗がにじんできた。もう一度、シートの上で尻の位置を確かめてからアクセルを踏んだ。夜八時過ぎ、慶大病院を右手に見ながら、中央道を目指して首都高入口に入る。車はスムーズに流れていたが、ニュースを意識しているせいか、どのテールランプはどことなく緊張感が漂っているような気がした。
ラジオは、断片的な情報をつないで墜落(?)場所についてニュースを流していた。
「長野県、群馬県県境の上野村、三国峠、南相木村あたりの山中に落ちたと、米軍機から横田基地を通じて報告があり、捜索を開始したもよう……」
南相木村といえば、その隣の川上村に小学館のアウトドア雑誌「Bepal」と村が提携して作ったキャンプ場「ビーパルランド」がある。ちょうど一週間前、フォーカス合併号の休みを利用して、トヨタ車のPR撮影の仕事で訪れたばかりだった。
早速、ビーパル編集部に電話を入れてみた。編集部員はテレビの前に釘付けらしく、ざわざわしているのが分かる。電話に出た友人のフリーライターは、
「どこに落ちたかはっきりしないけど川上村の先、南相木村方向みたいですね」
と興奮ぎみに伝えてくれた。
それなら首都高速を新宿から中央高速に入り、いつものように小淵沢インターで降りて川上村方向に行くのが早い。登りの多い中央道を、車はエンジンを全開してトラックのようなうなりを上げて走る。やはり、ガソリンは満タンにしておくべきものだ。
高速を出て、何度か通ったことのある山道を抜け、南相木村の目的地に着いたのは深夜零時を過ぎていた。警察車両のジープや消防団員のグループが目に入る。道を進んでいくと、警察官に小学校のグラウンドへ誘導された。報道関係者らしいのは私たちだけで、グラウンドがやけに広く感じられた。ともあれ一番隅っこに駐車し、首からライツミノルタCLEに28ミリレンズ付けて、首からぶら下げ、運動会用のテントが張られた対策本部らしいところをのぞく。
村の消防団らしき人と駐在さんが、お茶をすすっていた。「どこが現場か、判明しましたか?」
二人とも、「いや」というようにかぶりをふる。
これ以上アテなし、前進かなわずとなれば、待機して状況を把握するよりほかない。すでに自動車電話は電波がとどかない。二人で闇夜の白熊みたいに辺りをうろうろ歩き、報告と送稿をするための電話ボックスだけは見つけておいた。
夜は深まり、ラジオは新たな情報もなく同じ原稿をリピートするだけ。つまり搭乗者名簿を順番に読み上げているだけだった。
「名前だけだけど、いろいろな人生があるんだろうなぁ……」
T記者がつぶやくのに相づちをうちながら、少しだけまどろんだ。
 ***
「夜明け前、四時ぐらいに自衛隊の捜索隊が出るらしいよ」対策本部からT記者があわてた様子で戻って来た。
「よっしゃ、ついて行こう」
そうは応じたものの、見知らぬ山の中を自衛隊について行けるだろうか。体力に多少の自信はあったが、日頃の運動不足と不摂生を考えれば、いささか心もとない。体こそ大きいT記者も、両切りタバコを欠かせないへビースモーカーである。
私は不安を振り切るようにワゴンの後部ドアをハネ開け、ひんやり冷たくなったカメラを取り出した。一眼レフは、ニコンFM2モータードライブ。もう一つは、機械式の使い慣れたニコンF。なるべく荷を軽くするためレンズは被写体に寄れたら広角、引きなら望遠と考え、20ミリと300ミリの二本だけに絞り、念のため一・四倍のコンバーターも300ミリに装着した。ストロボは高速連写ができる特別仕様のサンパックSR25を入れ、Tシャツとタオルで機材をくるみ、フィルムをわしづかみにして七本、デイバックに入れる。T記者はつぶした食パン、軍手、タオル、取材メモ帳とペンをナップザックに詰め込んだ。
捜索隊のテントに行くと、すぐにも出発する様子である。しかし、山道をボルボで自衛隊のジープについていくのはとても無理だ。自衛隊のジープに乗せてもらえないか思案していると、そこへフォーカスの先輩カメラマンが幌付きジープで滑り込んできた。
「早く乗れ! とにかく自衛隊をマークして着いていくしかないだろ」
まったく絶妙のタイミングだ。二人で飛び乗り、それからどのくらい走ったか、自衛隊車両が止まり、十数人が円陣を組んで部隊長の指示を聞いている。しかし、上空からの視認と地上からの確認は全く次元が異なる。おそらく、彼らにとっても雲をつかむような話なのかもしれない。これほど文明が進んだ世の中で、ジャンボジェット一機、探し出せないとは――それでも、これにくいついていくしかない、そう覚悟をきめた。
隊長らしき人物が近づいて本部から墜落機には放射線アイソトープが積まれていたらしく、もし現場に到着しても何も触らないようにと、注意を受けた。ちょっと緊張する。
 先輩カメラマンはここで待機となり、私たち二人を含めて、他社の数人が隊員たちを追った。急勾配の山腹、道なき道を自衛隊員は黙々と訓練のごとく進んでいく。ついていく私たちはたちまち息づかいが荒くなり、隊員たちがしだいに小さくなっていく。そのうち全身で這いあがるような崖が現われた。これはまずい。いつの間にか、スーツと革靴の新聞記者や、荷の重いテレビ報道陣もリタイヤして降りていったようだ。
すでに自衛隊の姿は視界から消えていたが、それでも上へ上へと登るうち、どうやら頂上近くまでたどりついた。ヘリコプターが飛んでいるのが眼下に見える。
「小平さん、煙!」
T記者の指さす方を見ると、何かうっすらと煙のようなものが立ちのぼっているのが見える。急いで300ミリレンズにコンバーターを付けてファインダーを覗くと、文字が見てとれた
「JAL」
飛行機の翼だった。慌てて数枚シャッターを切る。続けて、天候や山全体の様子をライツミノルタのワイドレンズで撮影した。全部で20カットほど。先のことを考えれば、フィルムの無駄遣いはできない。
「どうしよう?」
「まっすぐに降りていけば近づけるかも」
道なき道を、今度は谷へ向って降りていく。もとより二人とも素人で、ベテラン登山家ではない。百メートルも降れば、方向さえ分からなくなる。とにかく喉が渇いたが、私たちは基本中の基本である水筒さえ持っていなかった。岩肌の湧き水を小さなフィルムケースに汲んで、何度も飲んだ。この沢づたいに行けば、最悪、遭難してもいつか川に出て町につく。そう言いながら、沢の岩を一つ一つ超えていった。水筒はなくとも、ジョギングシューズだったのは救いだった。
やがて徐々に視界が開けてくると、塵が舞うように辺りがホコリっぽいことに気がついた。地面には、機械部品のような物があちらこちらに落ちている。少し進むと今度はいくらか大きな部品が落ちている。T記者の表情は、疲れだけでなく、硬くこわばって見える。開き直って進んでいくと、岩の上にトランプが落ちていた。スペードのエース。嫌な予感がする。やはり、飛行機は墜落している。それを確かめるように、私は背景を入れてシャッターを切った。
トランプにかまっている場合か、そう思ううちにいっそう景色がぼやけ、塵芥が深海のプランクトンのよう日差しの中に立ち込める。
青い物が見えた。近づいてみると乗客用のイスだった。ここだったのか――。前の晩から目指してきたはずなのに、正直、認めたくなかった。倒れた木の間から、飛行機の翼の破片らしき大きな固まりが見えた。ついに墜落地点だ。まるで機体を隠すように木々が包み込み、覆いかぶさっている。木々の匂いと、きな臭い、油臭い匂いが鼻を突く。
やがて木々が広くなぎ倒されたところに出ると、半纏姿の消防団の人たちが、こちらを見ながら何か叫んでいるのが見えた。私たち二人も「おーい!」と手を振った。
 「びっくりしたなァ、いきなり生存者かと思った」
数人の消防団員に言われ、
「いえ、報道の者です」
と短く返事をする。
「まあ、こっちに来て座れよ。しかし、よく来たなァ、俺たち木こりだけど、ここはほんとうに山深いから、誰も足を踏み入れないんだ」
ねぎらうように勧めてくれたタバコを、ありがたく頂戴した。
「放射線アイソトープが積んであるからって言われてるけど、兄さんたち、どういう意味か知ってる?」
「いやぁ、僕らも言われましたけど、よくわかんないです」
***
しかし、いったい何をどう取材すればいいのか。東京湾の夢の島みたいなこの場所で、何を撮影したらいいのか?
全く生を感じないこの無法地帯で・・・・。しかたなく私はカメラを取り出し、いくらか無造作に、とりあえずあたりを見渡し360度のパノラマを数カット撮影した。後で知ったことだが、菅の沢というこの場所は、機体の後部が御巣鷹山頂から滑り落ちてきたところだった。私たちは、そこでなぎ倒された木の上に座り、消防団のおじさんたちと束の間、不思議とぼんやりした時間をともにした。
が、それもほんの数分間だったように思う。何気なく沢の下方を見ていたら、ゴミの山みたいな瓦礫と木々が散乱した隙間で何かが動き、そして光った。それはシルバーの指輪のようだった。
「あれ、今、何か動いた!」
300ミリの望遠レンズで探したが、見当たらない。が、探してなどいられなかった。木こりの消防団員たちと一緒に、いっせいにそちらへ走った。夢中で駆け出したことは覚えているが、白昼夢のように記憶がない。放射性アイソトープのことなど、皆忘れていた。
「たすけて……!」
と、弱々しい声が聞こえる。ここの奥だ! 
誰かが叫ぶ。この惨劇で、生存者がいた。あるいはもっと生存者がいるのでは? 希望が湧き起こり、誰もが興奮している。気がつくと、どこから出てきたのか自衛官やレスキュー隊が集まってきた。
 私たちは少し下がって、救出作業を見守った。ニコンFM2に20ミリレンズを装備し、ピントは3メートルに固定、ストロボもシンクロコードも外れないようにすべてガムテープで固定した。小雨まじりでやや薄暗く、トライXフィルム増感ASA800に合わせて1/250のf8にセット。何が写るか分からないが、願わくば、救出の瞬間を撮影することに全神経を集中させた。
どのくらいの時間がたったか。
「邪魔だ、どけ、どかんか!」
長野県警のレスキュー隊員が女性を背負って叫んでいる。ノーファインダーで、ローアングルからすくいとるように6、7枚連写したが、それ以上深追いはしなかった。その後方で、小学生ぐらいの女の子がもうすぐ救出されようとしていたからだ。そのまま少し身を乗り出し、今度もノーファインダーで上から見下ろすようにシャッターを切る。衝撃とショックのせいか、少女の目は焦点が定まらないのが気になった。最初の五枚まではストロボが連動したようだった。
ポケットの中にあったシリコン製クロスでレンズの水滴を拭いていると、私たちに手を振り、「たすけて・・・。」と叫んだ女性が運ばれていくのが見えた。紺の水玉模様のワンピースがファインダー内に入る、隊員たちの隙間から三〇〇ミリでアップをなんとか撮影したが、すぐに毛布にくるまれ担架で運ばれていった。視線をめぐらすと、次の救出者のために自衛官が飛行機のドアで担架を作っている。
最後に救出されたのは、きりっとした面立ちの少年、と思ったが、よく見ると少女だった。やはり放心状態のようで、夢から覚めた子供のようだ。そうだろう、この惨劇を生き抜いたのだから。そのことはよかった、ほんとうによかった。素直にそう感じた。木こりの消防団のおじさんたちが、たとえようもなく優しい笑顔を浮かべている。その傍らで若い自衛官が、なんで、飛行機が……! と言って絶句した。放心と安堵がいりまじった空気が、救出現場を包みこんでいた。
最初に救出されたのは吉崎さん母子(当時三十五歳と八歳)、スチュワーデスの落合由美さん(同、二十六歳)、最後が川上慶子さん(同、十二歳)。五百二十五人中、四人の生存者が運び出されたあと、私は木にぶら下がった救命胴衣やなぎ倒された木々、機体の残骸などをできるだけ丁寧に撮影した。
次は遺体の収容作業だ。今にも動き出しそうな少年。幼い少女。サラリーマンであろう半袖の開襟シャツ姿の男性。座ったままのブルーの座席とシートベルトが痛々しい。千葉の船橋駐屯地からやってきた落下傘部隊や少年自衛官たちが黙々と、しかし丁寧に遺体を収容していく。彼らは、私のカメラを無視するように淡々と作業をしていた。そうでもなければ、こんな状況で規律ある行動はできないだろう。心底、敬服する。
私たちはただ現場を見つめることしかできない。小型カメラを持っていたT記者に、「何か、撮った?」と聞くと、「いや、小平さんにまかせましたから」と言う。無力だけどな、そう思いながら、私は何度もファインダー内を隅々まで見渡した。この現場を的確に残す――それだけを自分に言い聞かせながら。
***
午後一時を過ぎた頃、自衛隊の隊長らしき人と消防団に、「そろそろ下山しないと。ここでビバーグするわけにはいかないぞ」
と注意された。言われてみれば、その通りである。撮影できるものは撮った。いや、もっと撮影すべきものがあるような気もするが、やはり心の中ではこの場所から早く逃れたかった。
「小平さん、戻りましょう」
T記者の一言で下山を決めた。バッグを担いで下山しはじめると、茂みの中にエンジンらしき物体が落ちていた。SF映画に出てくる宇宙船の残骸みたいだ。私はもう一度カメラを取り出し、20ミリのレンズでシャッターを切りまくった。できるだけ近くに寄り、あらゆる角度から、焼け焦げた機体の心臓を撮影した。悲しい、辛い、堪えられない、事故に関わる人たちの気持ちをぶつけるようにシャッターをきる。やがて持ってきたフィルムはすべて使い果たした。もう弾はない。もう限界だ。いや、もう撮影できないから、俺は帰る――。
急に強い疲労感に襲われ、足が重くなった。葉先の鋭く尖った熊笹を掻き分け、雨の中を登ってくる自衛隊員に無言の挨拶をかわしながら、黙って下っていく。廃坑になったトロッコの、ぶよぶよに腐れきった枕木がますます気持ちを沈ませる。再びごつごつした岩だらけの沢に出た。喉はからからだが、もうこの沢から流れてくる水は飲みたくなかった。
水に漬かったシューズはぐっしょりと重い。あとどのくらいで、麓の村にたどり着けるのだろう? 日が落ちてから真っ暗闇と化すまで、そう長くはない。水筒はもちろん、懐中電灯も持っていない。墜落事故で亡くなった人のことを思えば、こんなことでくたばれない。それにしても今日の二十四時間はずいぶんと長い。少し前、幼なじみの坊さんから、
「報道カメラマンも大変だろうが、事件や事故で死者に出会っても、同情せずに、大丈夫だよ、と死者に言い聞かせなさいよ」
と言われたことが頭をよぎる。
二人とも無言のまま、五分おきに休むようなテンポで、五時間近くも歩いただろうか。ついに前方に道路らしいものが見えた。それは沢にかかるコンクリートの小さな橋で、両手でよじ登って道に出た。助かった――。二人でへたり込む。T記者は腰をおろすなり、ぐちゃぐちゃに折れ曲がったゴロワーズをまっすぐにして火をつけた。甘い匂いがやさしいが、煙が目にしみる。
しばらくボーッとしていると、古い小型消防自動車が赤灯を回転させながら近づいてきた。徐行しながら、運転席の消防団員が、乗れよ、と手招きをしてくれた。実際、乗せてもらわないことにはもう歩けなかった。声を合わせて、「すみません」と叫びながら、後部の手すりにつかまり飛び乗った。
走り出した消防車の鐘が、からん、ころん、と鎮魂歌のように悲しく響いた。何秒かおきに、回転灯が互いの顔を赤く染める。まるで手に力が入らないが、なんとかフラップの鉄棒にしがみついたまま、私はできるだけ陽気に言った。
「ロンドンのダブル・デッカー(二階建てバス)に飛び乗ったみたいだな」
山里に入り、役場の近くで飛び降りた。近くに小さな食堂があり、中は報道陣で一杯だ。一つの赤電話に五人が並んでいる。考えてみれば前の晩から何も食べていない。潰した食パンもそのままだ。
とにかく店に入ると、T記者は編集部への報告用に十円玉を用意してくると言って席を立った。私はビニール袋に入れたフィルムを数えながら、早く現像しないとフィルムが腐ってしまいそうな気がしていた。
 ***
 ある日突然、前触れもなく大切な人を喪うショック。その苦しさ、寂しさは、できれば誰も経験したくはないだろう。しかし、四半世紀がそれなりの時間であることは身をもって感じる年齢に自分もなった。歳月というものが、毎日少しづつだけれど、冷えきった心を解凍してくれることは間違いない。
この事故からしばらくして、私は仕事の場をアメリカに移した。一度きりの一生、というような思いに背中を押されたこともあった。事故の記録を写真集『4/524』と題して日米同時に発表したのは、昭和から平成へと年号が変わって二年後の一九九一年夏だった。ページをめくると、今でも当時の光景がフラッシュバックする。一部では批判もあったこの写真集の最大の理解者だった父も、今年に入って他界した。
車や機械に詳しいT記者は、その後フォーカス誌で「交通大戦争」と題した連載を担当、警視庁から表彰を受けたが、一九九七年に四十代の若さで肺がんのため急逝した。
一時は二百万部という新聞並みの部数を誇った「フォーカス」は二〇〇一年夏に休刊となり、カメラマンも、編集記者も社の内外へ散り散りになった。
 世界航空史上最悪の事故を起こした日本航空は、経営難の末、今春、会社更生法を適用され、ナショナル・フラッグ再生へ向けて険しい道のりを歩みはじめている。
御巣鷹山で救出された四人のうちの最後の一人、川上慶子さんは、人の命を救いたいという理由から看護師になり、一九九五年の阪神大震災で被災者たちの救援にあたったと聞く。
最後に、昨夏この事故の写真展を開いた際に受けとった一通のメールを紹介したい(一部要約)。

JAL墜落事故。私にとってもこの事故は人生の中で何かを残しました。
二十四年前のその日、私は高校三年生。両親は旅行に出ていたので勉強の名目で同級生を家に招いて夕飯をつくり、テレビを見ていて速報で事故を知りました。時間が経つにつれ大事故が起きてしまったことを感じ、みんなで食い入るようにテレビをみていたのを思い出します。そして台所で食器を洗いながら、耳を疑ったアナウンサーの声。
「キウチシズコさん、十七歳」
あたしじゃん。あたし、ここに居るのに。変な錯覚に襲われるほどびっくりしました。
あたしじゃないあたしがこの世から消えてしまったと感じたのは、夜中、ベッドの中でした。涙が止まらなかった。親もおらず、友達に聞こえないように声を押し殺して泣きました。
「私と同い年で同姓同名の女の子がこの事故に巻き込まれていたのです。」
当時、あたしは亡くなったキウチシズコさんの分も、ご両親のためにも一生懸命生きていくんだ、いつかご両親に同姓同名のわたしが、彼女の分も幸せになった姿を報告するんだって、そう思っていました。折に触れ、八月十二日には、自分を振り返ってきました。
一言で言えば、私はとても幸せに生きています。楽しい大学生活を過ごし、天職にめぐり合え、仲間や仕事に恵まれ、いい恋もし。

事故からちょうど二十年目、朝日新聞でキウチさんの近況を目にしました。お兄様はご結婚され、お父様は広告代理店にお勤めだと書いてありました。奇遇でした。私も広告代理店に勤めていたんです。
普段購読していない朝日新聞に目を通すことも、同じ業界に居る事も、めぐり合わせ?
それでも、わたしには手紙を書くことができなかった。幸せに生きているのに、なんで高校生の時の想いを吐露できないんだろう、と。

命がけで現場に向ったレスキュー、被害者の家族、そして救助を待つ被害者、みんなそれぞれの想いがあるはずです。私は、小平さんの写真から、いま一度自分を生き抜くこと、周りの人に感謝し、自分ができることで手を貸すのを惜しまないことを学びました。
来年の夏、自分はあの御巣鷹に是非登ってみたい。キウチさんの家族に、わたしも頑張っています、と笑顔で伝えたいと思います。
                    キウチシズコ
 ***
 墜落地点/東経一三八度四一分四九秒、北緯三五度五九分五四秒。墜落時刻/一九八五年八月十二日、十八時五六分二七秒九二。乗員・乗客五二四名、生存者四名。

                    小平尚典
http://homepage.mac.com/nkohira/
日航ジャンボ123便 ムネオ氏テレビ生中継で「島田云々」「わかるひとにはわかる」と、JAL123便を一生懸命に暴露 → TBSの島田カメラマンが撮影した軍機残骸が1994年報道特番で放映されていた
日航ジャンボ123便 ムネオ氏先日のNNN生中継で「島田云々」とJAL123便と共に御巣鷹に散った軍機の件を暴露 → TBSの島田カメラマンが撮影した軍機残骸が1994年報道特番で放映された
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak43/msg/613.html


http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/2541.jpg

・軍機残骸
・軍機残骸小さい窓
・軍機翼

http://www.youtube.com/user/123ja8119?feature=mhum#p/u/22/rB_n3hCLaW4


<参考>
ムネオ氏がNNNテレビ生中継で、しきりに、「島田云々」と、1985年8月13日のTBS島田カメラマンの御巣鷹軍機残骸映像についてリークしている。
http://www.youtube.com/watch?v=Nd6HyIrPnAU  
日航ジャンボ123便 ムネオ氏会見NNN生中継報道「やまりんのわいろ」→「山林のY字路にロシアKGBの装甲車残骸」を暴露
日航ジャンボ123便 ムネオ氏会見NNN生中継報道「やまりんのわいろ」→「山林のY字路にロシアKGBの装甲車残骸」を暴露
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak43/msg/612.html
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1985年9月11日のNHKニュースで、堂々と、「尾翼のへこみ」が報道されている。
「御巣鷹の謎を追う」の書籍にも記載されている垂直尾翼の外部から衝突した跡を示す「へこみ」である。

なんとまあ、1985年9月11日のNHKニュースで、堂々と、「尾翼のへこみ」が報道されている。
その次の防衛費報道で、オレンジエアが堂々と出ている。
http://www.youtube.com/watch?v=267pHf5C8q0
NHK万歳。
Planz様の写真に出ていたオーブですが、「円無しの世界」「富士(1922日航の頭)無しの世界」という意味だと解釈されます。
Planz様の写真に出ていたオーブですが、

・縁無し「円無しの世界→通貨無しの世界」
・「富士無しの世界→1922m峰日航の頭のピラミッドの上の目、無しの世界」
という意味だと解釈されます。


フチナシノセカイ
http://www.youtube.com/watch?v=QAp1i_lftuw&feature=related
http://ja.wikipedia.org/wiki/Rimless%E3%80%9C%E3%83%95%E3%83%81%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%8E%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%80%9C
Planz様からメールでご指摘いただいた「崩れていた箇所」に再び行って見ましたが、収穫なしでした。しかし
Planz様からメールでご指摘いただいた「御巣鷹の尾根近くのスゲの沢の県境方面の崩れていた箇所」に大宮のA氏と再び行って見ました(高崎まで新幹線、下仁田からタクシーで御巣鷹の尾根まで往復のおおばんぶるまいにてタクシーの方にも取材)が、「崩れていた箇所」は、やはり収穫なしでした。しかし、国鉄の「エキゾチックジャパン」のデザインが、あの崩れた場所と酷似しておりまして、日航ジャンボ123便当時、他の機体が落ちた場所という点では間違いない状況です。
「JAL123便墜落事故第2回シンポジウム」開催のお知らせ(以下転載)
「JAL123便墜落事故第2回シンポジウム」開催のお知らせ



 ご無沙汰いたしており、申し訳ございません。『JAL123便墜落「事故」真相解明』(文芸社)等の著者の池田昌昭です。
 JAL123便墜落事故の真相解明と再発防止を願って、次の通り「JAL123便墜落事故第2回シンポジウム」(参加費無料)を開催いたしますので、どうぞご自由にご参加下さる様、ご案内申し上げます。
 冒頭30分程度、池田が墜落事故概要について説明をして、その後質疑応答とし、意見交換の形をとりたいと思います。

              記

 1.日 時  11月21日(日)  15:00~17:00
 2.場 所  東京ガーデンパレス 2F「牡丹」
        東京都文京区湯島1-7-5(御茶ノ水の東京医科歯科大学の裏にあり         ます)。 TEL 03-3813-6211
 3.テーマ  「JAL123便墜落事故真相解明と再発防止」
 4.参加費  無 料
 5.問合せ先 池田昌昭 e-mail(自宅): uh1@po5.nsk.ne.jp
当方が自衛隊により警察に通報されるそうです。
当方が自衛隊により警察に通報されるそうです。(226事件前夜の状態ですから、邪魔者は圧力かけるというのが自衛隊らしいです。)
<以下引用>




いい加減に国賊卑劣漢池田バカ昌之豚野郎を崇拝するのもいい加減にしろ隈取野郎!!!! (中野 独人)
2010-10-28 22:44:57
(123へ警告)

 すでに「椰子の樹の下でお月見」さんもおっしゃる通り、あなたの「国賊卑劣漢池田バカ昌之豚野郎の崇拝系堕スレ」にもそろそろ飽きてきた方が出ておられるようですね。

 そろそろいい加減に、あの御巣鷹山を侮辱し冒涜し続ける、国賊卑劣漢池田バカ昌之豚野郎を崇拝し続ける醜態は、そろそろ終わらせて頂きます!!


 それにしても、またあなたは、上野村の現地住民も、墜落現場の作業等関係者も、25年間、4半世紀以上も誰も全然知らなかった、事故直後の「他の生存者情報」を“暴露”してきたようですが、現地住民も、現場関係者も、誰1人として知らなかった“怪情報”を、それも、何でこんなにも詳しく知っているのですか?


>しかしそれ以外に4人の生存者がいたらしいが、4人の生存者がいたとされる証拠はなかった。

>日航機墜落事故現場にいた7~8歳くらいの男の子、元気でいた女の子、中学生くらいの男の子、20代の男。

>しかし、事故があったその日以降、発見された4人の情報は途絶した。


 もしこれが事実なら、もっと早い段階で、最低でも事故から数年以内に世間一般に出回っているはずですが、現地住民にも、現場関係者にも、ここの管理人さん達にも、全然伝わっても、確認が取れてもいない情報です。

 にもかかわらず、何であなたは、ここまで詳細に知っているのですか?

 何であなたは、管理人さんでさえ確認が取れていない情報を、単独でここまで詳細に把握しているのですか?


 私は、あなたが、あの国賊卑劣漢池田バカ昌之豚野郎を崇拝し続けていられる時点から、最初から「黒幕のパシリ」だと警戒し続けてきたのです。

 私達国民は、いくらあなたが「黒幕の手先」として、御巣鷹山の真相を「ファイヤービー説」に引き戻そうと企んでいるとしても、もう絶対に騙されません!!
 私達日本人は、もう、あなたや国賊卑劣漢池田バカ昌之豚野郎が考えているほど甘くはありません!!
 ここのHPで「日本核武装疑惑」という「赤い薬」を知った以上、もう「ファイヤービー説」に引き戻そうとしても絶対に無駄です!!


 これ以上、あの国賊卑劣漢池田バカ昌之豚野郎を崇拝し続ける堕スレを垂れ流すなら、私達も、123さん、あなたを警察に通報しますよ!!






池田様のおっしゃられるとおり「JAL123便は自衛隊が撃墜した」。自衛隊が一番日本にとって危険な奴らです (123)
2010-10-29 02:26:34
226再来の予感と日米中の未来 / 天皇家の秘---------------------------------------------------------------
S先生はイエズス会のバチカン勢力で、
日本の中枢頭脳であり、日米のサポートもありますから、
千葉先生に圧力ということは
中国日本(ロスチャイルド)勢力が攻勢をかけてきているということです。
要は、我々は「文化大革命」と闘っているのです。
どこそこに関わらず、レベルが高い文化的人間的人道的なところが共通して攻撃を受けています。
また日本の自衛隊が226事件、515事件、日航ジャンボ123便事件、を繰り返そうとしています。
---------------------------------------------------------------


>       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>
>
>最終回 お政治セミナー 39
>
> S先生のお政治セミナー
>
> 突然ですが
> 最終回
>
> 第39回
>
> 「 226再来の予感と日米中の未来 / 天皇家の秘密 」
>
>
>みなさんこんにちは。
>晩秋の土用となり冬の気配が近づいてきた今日この頃、みなさん如何お過ごしでしょうか?
>
>元内閣調査室特別諜報員S先生が世界中の諜報機関から集まる
>選りすぐりの極秘情報をお届けする「 お政治セミナー 」のご案内です。
>
>遂に「 お政治セミナー 」に圧力が加わり突然ではありますが今回をもって終了となりました。
>大変残念ではありますが、皆様の長らくのご愛顧ありがとうございます。
>
>さて、世界はいよいよ大激動の時代へと足を踏み入れようとしています。
>尖閣諸島紛争、中国の反日デモはその序章とも云えます。
>10月13日から3日連続で、亀山自宅の上空をヘリコプター35機前後の大編隊が朝霞基地方向へ通過。韓首相の観閲式のあった24日にも。
>実はこの大編隊には重大な裏が。一体朝霞基地で何が起きたのか?
>
>尖閣諸島~東シナ海海底油田では、日中の海軍のにらみ合いが続いていますが、仙石は「 日本は前から中国の属国 」と日本の調査船の派遣を阻止しています。
>
>尖閣諸島や反日デモの裏側には、軍事委副主席になった習近平を軸に2012年の全人代を睨んでの権力闘争がありますが、その裏側には更に大きな勢力が蠢いています。
>その正体とは?
>
>韓内閣vs日本復権を目指すクーデター勢力、そこに介入する米軍。
>226事件当時の様相を呈し始め陸上自衛隊と海上自衛隊、そして宮中はどう動くのか?
>
>アメリカではヒラリー国務長官とバイデン副大統領の交代が話題になり始め、日中有事を睨んだ大統領の実行力が問われつつあります。
>つまり有事の際には誰が大統領であるべきか?と云う問いかけです。
>
>日米中の軍事・政治経済的な配置とその未来、世界支配中枢の意向など、S先生ならではの世界の深層を今回、最後の場で大公開します。
>
>また前回の「 新錬金術 」の疑惑を裏付ける重大な内容が明らかになりました。
>金相場はどこへ向かうのか? 通貨は?
>
>次回お政治セミナー(13日)の直前に開かれる韓国G20と同日開催の横浜APECも見逃せません。
>
>歴史的大転換期に入ったこの時期、改めて天皇家の存在が非常な重要性を帯びてきます。
>
>
>神武天皇朝の成り立ちと天皇家の歴史の真実、その未来について解説します。
>
>医療関係では前回のホメオパシーとガン治療で話題の重粒子線治療、狂牛問題、鳥フル。
>
>
>そして崩壊を始めた中国三峡ダム。
>
>最後のお政治セミナーを、存分にお楽しみ下さい。
>
>
> ※ < おまけ情報 >は、別便にてお送りします。
>
> ※ 亀山は、28日~8日まで、関西~九州ツアーです。
> 1996年以来温めてきた「 日本の自然を100年前の状態にする 」 プロジェクトがいよいよ始動しそうで、その準備のためです。
> 期間中の連絡は、090-1658-6984、
> メールは nueqlab@gmail.com 宛にお願いします。
>
>-------------------------------------------------------------------
>
> 11月13日(土) 13:00開場 13:20~17:00
>
> 築地社会教育会館 視聴覚室
> 「 お政治セミナー 」
> 中央区築地4ー15ー1
> 03-3542-4801
>
>817&scl=10000&bid=Mlink>
>
> 定 員 80名
> 講 師 S先生
>
> 会 費 一般 4,000円
> 20代 2,500円
> 学生 1,500円
>
> お世話係
> 亀山:090-1658-6984
> info@kamiing.jp
>
>
>*******************************************************************
>
>
> お政治セミナー
>
> 大阪 2 : 亀話味編
>
>
>亀山単独で、東京でこれまで語られた時事問題のエッセンスや、
>亀山の持ちネタである歴史、民族、宗教、精神世界、医療、農業、環境、
>サイエンス、宇宙の摂理などの「 裏の事情 」を分かりやすくお話します。
>
>
>◆ 日 時 10月 31日(日)
> 13:00開場 13:30~17:00
>
>◆ 会 場
> 上之宮八坂神社
> 大阪市大正区三軒家東 2-7-18
> (大正駅から徒歩7~8分)
> 06-6551-5175
>
>348&scl=25000&bid=Mlink>
>
>◆ 定 員 50名
>
>◆ 会 費
> 3,000円
> ※ 前回出席の方は、一部内容がダブるため、2,000円。
>
>◆ 2次会 2,000円
> 料理上手の宮司さんの自然食の料理と飲み放題のお酒。
> 講演会会場がそのまま「 直会(なおらい)」となります。
> 参加ご希望の方は、人数把握のため予約をお願いします。
>
>◆ お問合せ
> 松本 080-4140-9033
> iyashirochi195@softbank.ne.jp
> メールの際はタイトルを「 お政治 」としてください。
>
>
>*******************************************************************
>
>亀 山 祥 彰
>
>
>
>
>
>
>
ちょっと何を寝呆けた事を (自衛隊が226事件類似のクーデターを企てていますきな臭い状態なのですから日航ジャンボ123便を推進して国を救いましょう。)
Planz様に対して苦言を述べているのではありません。(日本語大丈夫ですかとか言うとまた怒られるのでしょうけれども。)



参考映像は
http://www.youtube.com/user/123ja8119#p/u
等もご参考になさっていただければ幸いです。(警視庁ヘリ残骸も写っている画像が含まれたものもアップしてあります。)


当方が繰り返し述べている「黒い軍機」残骸ですが、1985年8月13日報道でも堂々と写っていました。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/2449.jpg

投稿 123 | 2010-10-28 17:06

このオレンジエア残骸は海上自衛隊の標的機残骸になります。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/2450.jpg

投稿 123 | 2010-10-28 17:05

日経新聞は1985年8月13日夕刊で「生存者7人発見」
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/2451.jpg
と伝えました。(フジテレビの生中継の内容などからすると、生存者7人が発見され、3人が連れ去られたと見るのが妥当です。)

投稿 123 | 2010-10-28 17:03
RE:挽き物屋様
おそらく下のサフラン様の質問に対しての事でしょう。
私が123様に確認してみると言ったものですから。
**************
※墜落翌日の朝NHKでみた映像にはなんかオレンジ色の部品が映っていて「引き上げられる破片」のキャプションが忘れられません。今その映像は残っていないのでしょうか?
**************
映像を探している自衛隊と思われたのでしょうか?

画像はどこかで見たんですけどね。
こういう時、資料はきちんと整理しておけばよかったと後悔します。
No title
お察しします。
あまり無理せずに行きましょう。

この件の奥深さは半端じゃありませんね・・・。

私には推論がありますが、実証が不可能なので記事にする気になりません。万人向けに理解可能な記事の書き方だと、やはり「つむじ風」さんところのような内容になるのでしょうね。

↓下の123さんのコメントはplanzさんのことを言っているのでしょうか?自衛隊の探り?123さん、そりゃないでしょう。あとチベット地下宇宙勢力も勘違いと思いますけど。
No title
こんばんわ。元気そうでなによりです。
私としては、焦らず自分のペースで真相を追究してもらえたらいいかと存じます。真相を突きとめようとするその姿勢が一番大事なことだと思います。そんな管理人さんになぜだか、違うジャンルの記事もコメントしたくなってしまうのですよね(^^;)
例えば、このような記事を1万人が閲覧すれば抑止力になるのです。電通が垂れ流しているのはそれと正反対の白痴化ですね。だから管理人さんのやられていることは無駄ではないですよ。
当方へ確認ということですが、そういった自衛隊の典型的な探りにはお答えできませんよ。
生存者の男の子の写真を撮影したため日本国から迫害されて、米国で仕事をしていたカメラマンと接触したため、
米国からどのような情報を得たのか探りを入れている典型例ですが、
申し訳ないですが有意義な情報を得ました、としか、お答えできません。
救助すべきを殺害したり、日本サイドで「殺害が無かったこと」になっているのは、日航ジャンボ123便と同じ構図ですね。 
救助すべきを殺害したり、日本サイドで「殺害が無かったこと」になっているのは、日航ジャンボ123便と同じ構図ですね。 





>
>先日お送りした ≪ 純日本人会697 / 「海の墜落した海保職員を中国人船長が銛でついて死亡させた...」 ≫ ですが、
>情報をくれた同士からの追加メールです。
>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
><中国人船長による海保職員殺害事件はなかった>
>
> 週刊誌のトップ屋グループが独自ルートで首相官邸に確認したところ、石原都
>知事がテレビで発言した「海保職員が海に落ちて、それを中国漁船員がモリで突
>くなどという場面はない」とはっきり答えたとのことです。
>
> 石原都知事の舌下事件に発展する可能性がでてきました。
>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>
>官邸は日本人より、シナ人や朝鮮人が可愛い者達ですから、本当のことを言わない可能性が高いでしょう。
>はっきり言って官邸の応えは嘘の可能性が高いです。
>
>事件後1ヶ月半も経っていますから、ビデオの改竄、編集の時間はたっぷりあるはず。
>
>もしも国会議員の一部にだけでなく国民に公開したとしても改竄、編集後のものに決まっています。
>
>菅と仙石は殺人犯を匿い、逃走を幇助したこと、そしてそれを地位を利用してもみ消したことを
>未来永劫、子々孫々、言われ続けることを覚悟したのでしょう。
>公開までに時間が経ち過ぎてしまった事で菅、仙石に弁解の余地はありません。
>
>そう言われたくなかったらビデオを公開し、改竄、編集していないことを証明しなければなりません。
>何故なら事件からあまりに時間が経ちすぎているからです。
>             栗原茂男
>               【純日本人会】 http://www.junnihon.com/
> http://jun-nihonjinkai.blog.eonet.jp/
中国の太陽熱温水器は超古代の発酵式トイレの名残
ところで、中国人が批判される筋合もまた無いのである。ドラマ大地の子の如く、基本的には人道的な人々である。チベットの地底宇宙人から操作されているだけである。




この地底宇宙遠隔支配から抜け出すには、発酵を推進するに限る。




中国では、なぜか太陽熱温水器製品がやたらと多い。これは、超古代の発酵式トイレの名残である。
超古代は、くみとりトイレや肥え貯めを太陽熱で60度前後に加熱して朝鮮半島の白頭山の火山灰をまぜて、空中光合成を行っていたのである。(日本にも苫小牧あたりまでは白頭山の火山灰層がある。)
簡単なことなので、現代でも復活は容易である。




福建土楼が、ドーナツ型をしているが、これはある意味、太陽炉の光核放出サイロの名残なのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E5%AE%B6
ドーナツ型の真ん中にはなれのトイレを置いて、高温好熱微生物発酵させ、空中光合成を行っていたのである。




また、ロシアのプラチナも消臭触媒として利用されていた。
PANASONICの生ゴミ堆肥化装置にも応用されている。




ペットのトイレに、PANASONICの生ゴミ堆肥化装置を応用して常時発酵させておくようにすれば、ペットの寿命も飛躍的に延びる。
洞窟のコウモリのグァノも超古代では貿易の中心であった。家畜やペットも、超古代では発酵空中光合成や発酵用原料を取るために飼育されていた。
肉用といった発想は、途中から来た地球牧場化宇宙勢力によるものであり、そもそも理解できない。
RE:サフラン様
コメント有難うございます。
オレンジの破片の動画は分かりませんが、画像は残っていたはずです。123様に確認してみますね。
生存者の男の子を撮影したカメラマンは日本国内での弾圧が激しく、アメリカへ避難し仕事をしていた
1985年8月13日の夕刊、テレビ等の報道では「生存者7名」「生存者8名」が主流でした。
4名がヘリで生存者として移送されましたが、残りの3人~4人はどこへ行ってしまったのかということです。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2010/10/post_de28.html





現に、生存者の男の子を撮影したカメラマンは日本国内での弾圧が激しく、アメリカへ避難し仕事をしていたほどなのです。(それで、これらの1割程度の残された写真がかろうじて残されていたというのが実態です。)
東京水没・埼玉焼失は、東南アジアに回避
明日の東京水没・埼玉焼失は、東南アジアに回避
http://www.asahi.com/international/update/1026/TKY201010250495.html
http://www.asahi.com/international/update/1027/TKY201010270114.html
http://www.asahi.com/international/update/1027/TKY201010270115.html

要は、物品の出荷の如く、人間牧場から出荷されるという原理の理解が大切です。

日航ジャンボ123便が騒がしくなれば、チベット地底宇宙勢力は日本で騒動を起こせないのです。
RE:ティジャス様
有難うございます。
現在体力づくり中です(笑)
あの辺を調べるには体力が必要です・・・
読者です
今夏に墜落事故以降初めて登山しました。
無数に立つ墓標にテレビ越しではわからなかった事を改めて感じさせられました。
あらゆるメディアに目を通すと、やっぱり元首相には墓に持って行く前に真実を語って貰わねばいけないと日本の未来に関わるような感じがします。
続きの報告をお待ちしております。

※墜落翌日の朝NHKでみた映像にはなんかオレンジ色の部品が映っていて「引き上げられる破片」のキャプションが忘れられません。今その映像は残っていないのでしょうか?
現在も日航ジャンボ123便の生存者は拉致監禁されて生存している。
ttp://hyouhei03.blogzine.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/10/26/102310.jpg
http://hyouhei03.blogzine.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/10/26/10238.jpg
http://hyouhei03.blogzine.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/10/26/10237.jpg
http://hyouhei03.blogzine.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/10/26/10239.jpg
http://hyouhei03.blogzine.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/10/26/10231.jpg
http://hyouhei03.blogzine.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/10/26/10232.jpg
ttp://hyouhei03.blogzine.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/10/26/10234.jpg
ttp://hyouhei03.blogzine.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/10/26/10235.jpg
ttp://hyouhei03.blogzine.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/10/26/10236.jpg

↓この自衛隊人殺し野郎!、拉致して現在も生きている生存者がいるのは諜報機関は掴んでいる。とっとと解放しなさい。
No title
ゆっくり休んで下さいね。
ステルス戦闘機F-117をもコピーした「実績」のある中国の手口は、今尚技術泥棒として脈々としており、中国万歳の風潮で人類はコピー品万歳になり開発開墾精神が失われ進歩できなくなります。
JR西日本の500系があまり使っていない状態で多数「廃車」になり、
どうしたのかと思っておりましたが、中国でのリバースエンジニアリング用になっていたのですね。
↓を見ても、全く同一の車両です。
http://www.nikkei.com/news/headline/archive/article/g=96958A9C93819499E0E4E2E3978DE0E4E3E2E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2

要は、日航ジャンボ123便撃墜の時に使われた、
AIM7やF19が中国勢力の匂いぷんぷん、というのも、
どうもコピー品だという特徴が同一だからです。
現に、ステルスF-117のコピー機は中国で生産されている実績すらあります。

これらの特徴は、オリジナルと同じような外見ながら、
部品や部材が劣っているというところが、ノックダウン方式によるライセンス生産と異なるのです。
日航ジャンボ123便撃墜(文化大革命)、123便生存者大虐殺(魔女狩り)は中国が黒幕として深く関与しています。
「前原某日中戦争担当次期総理大臣殿」 (リチャードコシミズ氏談 http://richardkoshimizu.at.webry.info/201010/article_39.html
が、2010年8月12日に御巣鷹の尾根に登って、日中分断を図っているのです。
日航ジャンボ123便撃墜(文化大革命)、123便生存者大虐殺(魔女狩り)は中国が黒幕として深く関与しています。
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お久しぶりです!
先日の御巣鷹登山でそろそろ終息、、、と思い、他に気になる事を調べたりしていました。
しかし全く別の事件に、御巣鷹についての123さんの話とリンクする事が多々あるんですよね。
3次元的に考えていては、やはり真相究明は不可能なのだと思います。

今後の展開を楽しみにしています!


 

 
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